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2021年7月28日水曜日

宗教的ヒューマニズム


宗教的ヒューマニズムって知ってますか?現在日本では全体的にヒューマニズム教育が行われています。
そしてヒューマニスト協会は国連の機関の一つです。
つまり、この「ヒューマニズム」が世界の大きな流れだと言ってもいいでしょう。
この思想の要旨は、「人間は人生の中で人格を完全に完成させ、社会的に素晴らしい人間である様努力するべきである」つまり裏返せば「人は何かに頼るのではなく人間的な努力によってのみ成長し、人の価値は社会貢献度によって決まる」と言うものです(そんなことないと思うかもしれないけど現状が物語ってます)。これがいかに危険な思想であるか、
わかります?
以前僕は人の価値は2種類あると言う話をしたと思います。
一つはDoing。その人が何かをしたから価値が上がる、と言う相対的なものです、
もう一つはBeing。存在するだけで価値があると言う絶対的なものです。

どちらも必要ですが、特に後者への意識がたりないと人は存在不安に陥り、何かをして認められないと不安になってしまいます。

以前介護施設で大量殺人がありましたね。あれは、「被介護者は何もできないから無駄で不幸な存在だ」と言う思想のもとに行われた行為でした。

社会貢献度によって人の価値が決まるのであれば、社会貢献できない人は殺しても構わないと言うことになります。人が人を無条件に愛することは無意味なことになり、親は非行をする子供を捨てても咎められません。

宗教的ヒューマニズムの問題点はここにあります。

この考え方は最近のものではなく、数百年前から医者は患者を「患部を持った生物」としか見ず、人にとって1番不幸なのは生きていることであると結論づけて自殺する哲学者が生まれるまでになりました。

これについてはいろんな人が警鐘を鳴らしてきました。
日本人はまだこの思想に違和感を感じる人も多いのですが、既に国の教育方針がこれに則っている以上世論は寄っていくでしょう。

でもその一方で、この世の中が狂ってることなんてみんな薄々感じていると思います。
天気の子という映画が公開された時、一人の命を救うために東京中が雨で浸水することを厭わなかった主人公に批判の声が多数上がりました。彼らは、一人の命なんてどうでもいいから多くの生活を守れ、と言ったのです。これがヒューマニズムの脅威です。一度弱者になった人は誰からも愛されることなく見捨てられて当然。それがこの思想のもたらした現状です。

現在の日本の教育方法は、一クラスに30人ほどの生徒を集め、全国で一斉に西を向かせて一律化された教育を受けさせるというものです。利点はあるでしょう。しかしこの方法では個人個人ではなく全体を優先させることになりますそれが必ずしも悪いとは言いません。しかしそうすると必ず落ちこぼれが現れます。問題なのは、宗教的ヒューマニズム的な思想を持った教師はその落ちこぼれた生徒を助けることはせずに見捨てるということです。そのような環境でそのような教育を受けた生徒は、自分に価値はないのだと思い、人を愛することも知らないまま大人になるかもしれません。その最たるものがこの前の虐殺事件の被告人だと感じています(このようなテーマを扱った、重松清さんの「青い鳥」と言う10年ほど前の小説・映画がとても良かったので読んでみてください)。

したがって、このような世の中だからこそ、今生きている人は自分の価値を知り、次の世代の子供たちに伝えていかなければなりません。
近年、人の欠点を完全に補って完璧な生命として生きるトランスヒューマニズムと言う思想が提唱され、数十年後には実用化を始めると言う計画が文部科学省のホームページでも公開されています。アメリカの大統領選に出馬したトランスヒューマニズム党の代表は、この技術によって人間関係において愛と努力に努める必要すらなくなると言っているのです。しかし考えてみたいものです。
生物としての生き残りよりも、心を持った温かい命を受け継ぐ方が大事なのではないでしょうか。
人を単なる有機物としか捉えない思想は、人をもはや有機物ですらない存在に変えてしまうかもしれません。

今日もここまで読んでいただいてありがとうございます。

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