※今日の内容はちょっと深いよ~
人って、何かにつけて定義、前提、公式を作ろうとするとこがある。「私は理解されない人間です」とか、「私は愛されないんです」とか。
僕は、「事実」と「認識」と「対応」をわける、というコトをよくいってるんだけど(それについてはまたいつか詳しい記事を上げますね。)、それはどういうコトかというと、それはつまり
その時に起きた事象を、普遍的なものとして一般化しない
ってこと。
難しいね。
たとえば、たまたま誰かに「何をやってもダメだな」って言われたから、その言葉を自分の定義、前提、公式(自分=何をやってもダメな人)として握ってしまう、とか。
これは、
「自分は失敗して叱られた」という「事実」
から
「自分は常に失敗しては叱られる人間」という「認識」
に繋げてるわけだけど、この
「今失敗して叱られた、つまり自分はいっつも失敗する人」
という
式を、思いきって捨てること。「今失敗したという事実」と「自分に対する認識」は全く別物であって、結びつけたらおかしくなる。
で、「自分はこういう人間」という、
自分に対する認識を心理学では一般的に
「セルフイメージ」
と呼びますが、わかりにくいので僕はざっくり
「前提」とか
「公式」とか
「定義」
と呼んでいます。
では、なぜこの「前提」を持つと問題なのか。
よく、失敗したりしたときに、「ああ、またやっちゃった、自分っていつもこうだな」とか思うことありません?それね、
実際に失敗をしてるせいで、「自分は失敗をする人間」と思ってしまっている、
というよりは、たぶん
「自分は失敗をする人間」だとおもってるから実際に失敗する
のだ。
つまり、
「自分はこういう人間だ」という「前提」をもっているから、
その「前提」に沿った行動をおのずから選択してしまう
ということですな。
これをナリさんなんかは【証拠集めの旅】とか呼んでて、まあ素晴らしいネーミングだなとおもうんだけども。
でね、なんでこの「前提に沿った行動」をしてしまうかというと、
なんか人の脳みそっていうのは、悩んだら答えが出るまで考えるらしいねん。
で、多分「なんで自分はこんな失敗ばかりしてしまうんだろう」っていってすごく悩むんだよね。でも、
悩むってつらいじゃん。
で、多分疲れたんだよね、悩むのに。
だから、
もういっそのこと「自分は失敗するように生れついたんだ」って考えた方が楽じゃね?
って気がついて、そこで考えるのを放棄してしまったんだろう。
でも、そこでいったん悩むのをやめた以上、その結論が間違いだっただなんてことになっては困るので、
一生懸命その結論を証明しようとする
んだろうね。
うわ~、怖💦
なので、「あ、自分はもしかしたらこういう前提を持ってるんだろうな」
って思ったときは、ぜひ、
「自分は『そういう人』なんじゃなくて、たまたまそうしちゃったんだね」
と、自分に言い聞かせてあげてくださいな。
あと、その前提や公式、定義を壊すための記事をアップしたので、
↓セットで読んでね↓
ありがとうございました。