※記事久々ー!
使命感というのは人の原動力としてはとても重要なものですね。
人が生きるとき、「誰かのために」と突き動かされる力。
これは大切なものだと思います。
しかし。
時に使命感が空回りすると、それは強迫観念的なものになることもあります。
「自分は正義を行っている」と気負い過ぎると、人は時に傲慢になる,といってもいいでしょう…
そして人に「私の善行に協力しなさい」と強制することになる。
世界中で意見の衝突による紛争やSNSの炎上が絶えません。これも「自分は正しい考えと正しい行動をしている」と思いすぎなのが原因のひとつのように思えます。
数年前には,とある国で子供を誘拐した犯人に制裁を加えるという大義名分を持った暴徒が,勘違いで無実の人間を殺してしまった悲劇もありました。
これも,「自分たちは犯罪者に鉄槌を下す正義の立場だ」という歪んだ使命感といってもいいかもしれません。これは極端すぎる例ですが…
もちろん信念をもち、自分の良いと信じる行動を選択するのは大事だと思います。
しかし、「自分の考えは正しいのだから他人も賛成すべきだ、反対する人は愚かだ」と思ってしまうのは少し違うかな、と思います。
あくまでも自分は自分、他人は他人。自分は他人に理解されなくとも信念を貫けばいい。
しかしその一方で,社会には正さなければならない問題もいくつもあるでしょう。
その為何をすべきか,必死になって戦っている方々の努力は計り知れません。
だからこそ,自分ひとりひとりの意識を改革していくことが必要なのです。
この境界線がとっっっても大事ですね。
でも難しいことです。
これは以前信念を捨てるという記事でも書きましたが,やっぱり自分が「こんなに頑張って背負ってきた」と思う使命感をいったん見つめ直すって言うのはとてもつらいと思います。
でも,「自分が,自分がぁぁぁあ!」って気負いすぎると,いつか躓きます。
だから,一度立ち止まってほしいのです。自分はいつしか,与えられた使命感を自分の自我に置き換えていなかっただろうか…?
かくいう僕も,自分の感情を持てあます未熟者ですが…
じっくり自分と向き合いたいものですね。
※読んでいただきありがとうございます。
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